2008 年 11 月 10 日
自分の内なる神と、全ての根源の神とは全く意味が違う。自分の内なる神とは、根源の神の元から、人間に物質化する時、初めて持った個だ。その個が自分と他を分けるための念を持った。その念は意識を作り、意識は太極から分離したため、神に還るエネルギーが不足し、永遠にこの次元に留まり続けることになった。そして魂だけが、太極にする真実のパートナーを捜し続ける転生を繰り返すことになる。自分のうちにジキルとハイドと二つのエネルギーが存在している。その内、殺人鬼のハイド氏の方が本質の自分であり、ジキル博士は、その本質を隠すために自分で創造した影の自分にすぎない。殺人を肯定するはずがない。ハイド氏を殺人鬼にしないためには、その醜いハイドの自分に罪悪感を持たない。そしてそれを抑圧しないことだ。ハイド氏は悪魔ではない。悪魔はジキル博士の方だ。悪魔であるジキル博士は醜いハイド氏を抑圧し、やがてそれが暴走し始めるように巧妙に導く。だから、醜いハイド氏の自分自身を赦すことが暴走を防ぐ手段だということだ。僕自身の中にも過去世でせむし男だったハイド氏の自分がいた。そしてその自分を隠し、抑圧していた。誰もがハイド氏であるわけではない。生まれつき明るく、誰にもはきはきものを言い、スポーツマンで、頭がよく、リーダーシップを取る人間もいる。このような人間は、ハイド氏の本質を持つわけではない。しかし、僕のようにハイド氏のような人間も少数でもいる。そしてそれを恥じ、抑圧する。そして、ジキル博士を創造し、二重人格にしてしまう。だからこそ、人の起こす事件を見て我を振り返るのだ。
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2008 年 11 月 10 日
韓国の国旗は太極の図を現す。太極の図は、「饗宴」の中でプラトンが言う、人間の根源の姿を現す。人間の根源の姿は、陰と陽、男と女が一つだった、はるかむかし、人間が男女に分かれる以前、その回転のエネルギーによってしか、神に還ることが出来ないことを現す。人間は、だから自分の真実のパートナーを捜し求めて転生を繰り返す。真実のパートナーによって、太極の形が完成し、その回転のエネルギーを上昇のエネルギーに変え、神に還ることが出来る。だから、半身のままでは、回転することが出来ず、上昇することも出来ない。
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2008 年 11 月 10 日
僕が好きな、「良寛」の辞世。人の一生は、もみじが地面に落ちるまでの一瞬の出来事にすぎない。その間にも、表の顔、裏の顔を見せながら。人に感謝の心を持つ時もあれば、人に怨みを持つ時もある。死に臨んでは、そのどちらも気にすることはない。どちらも自分であり、きれいな自分もきたない自分も両方自分なのだ。両方を肯定し、気にすることを止め、自分を慈しむ瞬間が天国が開かれる時だ。
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2008 年 11 月 10 日
花にたかっている、あぶらむしを見ると人はぞっとする。生理的な嫌悪感を感じる。死体にたかる蛆虫ならなおさらのことだ。この嫌悪感はどこから来るのだろうか?人が人に対して「寄生虫」という言葉に籠める嫌悪感。「依存心」という言葉に籠める嫌悪感、軽蔑心。実は自分自身が寄生虫である、自分が他に依存しているということに対して罪悪感、嫌悪感を持つために、外を見て同じ感情を持つ。あぶらむしに対する嫌悪感は、自分への嫌悪感を現している。この罪悪感、嫌悪感に気付かないと小室哲哉と同じ道をたどることになる。自己を破滅させる悪魔は、自己の嫌悪感、軽蔑心、罪悪感に潜んでいる。人間全てを破滅へと導く悪魔だ。なぜなら、人間こそが、地球の蛆虫であり、あぶらむしだからだ。その嫌悪感を植えつけたのが、人間の中に一体化している悪魔の正体だ。ここから逃れるためには、人間が地球の寄生虫であることを肯定するしかない。寄生虫は人間の体と共存している限り、悪ではない。人間も同じだと肯定するしかこの罪悪感の悪魔から逃れる方法はない。
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2008 年 7 月 24 日
自分の内なる神の「場」を、初めて見つけ出した。そこは、「シレジウス」が云うように、「神聖なる泉」が湧き出す「場」だ。「泉」が湧き出しているから、「静かな風」が吹いている。自分の内側にエネルギーを集中し、「風」を感じる場所を探す。自分の最も奥にそれはある。日に何度も意識をそこに向け、一瞬でその「場」にエネルギーを集中できるようにする。そして、自分のエネルギーがそこから外れた瞬間の自分の状態と、その場に留まる自分の違いをしっかりと覚えておく。何が起ころうが、どんな時でも、そこに留まることが出来た時こそが、「泰然」という言葉が感覚として理解できる時だ。
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2008 年 6 月 12 日
人は、やりたい事が出来ないことにより、ヒガミの感情を持つ。やりたいことが出来ない理由は、やりたいことが漠然としかわからないため。能力がないため。情熱が不足しているため。本質的に怠惰なため。等の理由だ。つまり理由は自分側にある。しかし、秋葉原の17人殺傷犯のように、その理由が社会、親、会社にあると考え責任を転嫁する。自分がやりたいことが出来ないのは、社会が悪いからと考える傾向は、25歳以下の若い時に多くが陥る罠だ。その罠にはまり自己破滅する。ヒガミは、やがて怨みにまで大きくなり、ハイド氏となる。怨みに封じ込められたハイド氏は、自分が悪魔であると思い込み、何かのきっかけで、悪魔性を爆発させる。そして、17人を殺傷することになる。悪魔性を持つ自分を裁く必要があるから、事件を起こして、結果自分を裁く。
ハイド氏は本来、自分のうちなる神だったのだから、ハイド氏を悪魔にしてはいけなかった。ハイド氏を悪魔にしないために、醜い自分を認めて赦すしかない。
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2008 年 6 月 9 日
昨日、秋葉原で通り魔殺人事件が起こった。7人が殺された。犯人は、おとなしくてまじめな派遣社員だったらしい。まさしく、ジキル博士とハイド氏を現実化した事件だった。では、どちらが、彼の本性か?抑圧され続けてきた、ハイド氏こそが、彼の本性だ。現代社会は、人間の本来持つ凶暴性や野獣性、残虐性を封印させてきた。アマゾンの奥地には、いまだ文明に毒されない人食い人種も存在する。誰もが同じ特性を持ち、それを封印させているわけではない。しかし、事実、人間の何パーセントかは、奥に潜む獣性を飼いならすことが出来ずに、抑圧させ、そのストレスを風船のように膨らまし続けている者達がいる。遅かれ早かれその風船は爆発し、秋葉原のような事件は繰り返し起こるだろう。
自分の中のハイド氏を認めてやることが大事なことだ。それが自分なのだから存在を消しさることは出来ない。醜いハイド氏を恥ずべき存在として、抑圧させ続けてきたから、いつかこのように、耐え切れなくなったハイド氏は突如として暴走をはじめる。ハイド氏を自分のうちなる神として、認めてあげる。普段、我々はその存在を隠そうとする。ジキル博士こそが、偽りの自分だ。偽りの自分をやめて、醜いハイド氏を自分なのだと認めることしか人間に救いはない。
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2008 年 6 月 9 日
殺人者で醜いせむし男の「ハイド氏」は、人格者で皆に尊敬される「ジキル博士」の中のもう一つの分身だ。しかし実は、ハイド氏こそが、ジキル博士の「うちなる神」である。
僕の中に、過去せむし男だった人格が存在する。正確には、そのせむし男こそ、自分の「うちなる神」だ。せむし男である「うちなる神」は潜在意識で他者を破滅させる力を持つ。それは人間を生み出した創造の力の源泉と同じもの。負の力は自分の能力として自覚できるが、正の創造は、自分の能力として自覚出来ない。恐るべき負の能力故に「うちなる神」を自分の恥ずべき存在に貶めていたので、「うちなる神」である、せむし男は、自分自身に天罰を下すのだ。そのため、自分の能力を正の創造の方向に向けることが出来ない。せむし男を恥ずべき存在にしていたため、自分にメリットを渡さず、他人にばかりメリットを渡してきた。しかし、そのことに対する怨みの想念は、やがて蓄積され、自分自身を破滅させる。他者を破滅させてはならないとする宗教・道徳の教えによる縛りが自分の力を封印するからだ。
もし何者かに復讐するという目的を果たすのが今生の目的だったと知った上で、宗教・道徳による縛りにより自分を貶めるならば、自分の神は歓ばない。その結果、何度も転生輪廻を繰り返す。これが地獄というものの正体だ。天国の扉は、自分のうちなる神であるハイド氏を知り、その存在を決して貶めないことでしか開かない。そしてハイド氏による自分への復讐が始まれば、自己の破滅へと一直線に向かう。救いの道は自分の中のハイド氏との和解だけだ。
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2008 年 6 月 6 日
私の「魂」は臆病で軟弱ではない。この世に吹きすさぶ嵐におののく「魂」などではない。天の栄光の輝きと、それに劣らぬ信仰の輝きが見える。だから私には不安も恐れもない。
我が胸のうちなる神!全能にして永遠の存在である神!生命!我がうちなる存在!不滅の生命たる私に力を与えるのはまさにその存在である!
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2008 年 6 月 5 日
大きな街。どこまでも続く石つくりの建物。時代は判らない。中東かまたはヨーロッパか。大きな石で作られた高い城壁の壁が遙かに続く。壁と壁の隙間からこちら側を覗く少年の顔が見える。その少年は自分自身。悲しげな顔をしている。大きな石の壁は何を象徴するのか?恐らく父親を象徴する。壁の向こう側に行きたい自分とそこにおおい被さるような大きな石の壁。自分がそこから出ていったのか、または留まったのかは判らない。
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